【大好きな本を語る】「きみの友だち」編(読了済みの方向け)

大好きな本
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 みなさんこんにちは、らくとです。
 この記事では、私の大好きな本である、重松清さん「きみの友だち」について、感想や好きな場面・セリフなどなどを、私の好きなだけ語りたいと思います。

 ※なお、この記事では物語の結末にもかなり深く触れておりますので、未読で結末を知りたくないという方は、ここで記事を閉じることをおすすめします。了解された方のみ下におすすみください。

 まず、この作品に対する私の思い入れについて語らせていただきます。私がこの作品を初めて読んだのは確か小学生くらいのときだったと思うのですが、そのとき以来、この作品は私の中で特別なものになりました。人生において大切な作品というものを聞かれたら、これは確実に私の中で上位に入ると思いますし、個人的には、小学校の教科書に載せてほしい、いや、小学生だけではなくて、普段本を読まない人にも、どうかこの作品だけは、人生に一度読んでみてほしい、と思っている作品です。こういう作品に出会えることこそ、読書の幸福だと思います。

 もう何回も読み返しているのですが、何回読んでもいい。小学生から中学・高校・大学と進んで社会人になっても、この作品を読んだときの感動、胸が締め付けられると同時にあったかくもなって、じんわりと目頭が熱くなってくるような、そんな感覚は変わりません。登場人物たちは、みんなそれぞれ拙いところがあり、生きるのが上手くなくて、たくさん悩んで、間違えて、それでも懸命に、その子らしく生きようと、大事なものを見つけようともがいています。本当はそんなに大切ではないものを大切だと思い込まされる社会の中で、本当に大切なことを見つけるのは難しい。だからこそ、それを見つけた人は強いのです。
 もちろんこの作品のテーマは「友だち」なのですが、それを超えて、人生というものや自分というものについても考えられる作品です。

あらすじ

 「きみの友だち」は重松清さんによって2005年に発表された作品です。

 小学四年生のとき、下校中に遭った事故の後遺症で足が不自由になり、松葉杖が手放せなくなってしまった恵美ちゃん。その事故がきっかけになって、足の自由だけでなく、友だちまで失ってしまった恵美ちゃんは、それ以降、クラスの誰とも付き合わなくなってしまいます。そんなとき、彼女が出会ったのは、病気がちなクラスメイト・由香ちゃんでした。ぶっきらぼうで怒りっぽい恵美ちゃんと、気が弱くて優柔不断な由香ちゃん。合わないように見えますが、「みんな」から弾かれた者同士、二人は次第に言葉を交わすようになり、そこから「友だち」になった二人は、長い時間を共に過ごすようになります

 この作品は連作短編集の形式で書かれており、それぞれの話で主人公となる子が違います。10の短編のうち、2つは恵美ちゃんが主人公ですが、残りの主人公はそれぞれ別の子どもたち。ですが、どの子も恵美ちゃんや由香ちゃんの周りにいる子たちです。彼らは自分なりに悩みを抱えながらも、恵美ちゃんの言葉や、二人の友情からヒントをもらって、大切なことを少しだけ知ることになります。

 主人公となる子どもたちは、性格も、学校での立場も、抱えている事情も様々な、でもどこの学校にもいるようなそんな子たち。何でもできる学校の人気者や、いじめられっ子、クラスみんなと仲がいい八方美人、人気者のひっつき虫の冴えない男の子、空いばりのモテない先輩や、唯一の親友に彼氏ができて悩む女の子などなど。そういう立場であるが故の本音や心情を、素朴ながらもリアルに描いており、学校という場所を経験した人なら、少なからず共感してしまう場面が多々ある作品です。私は、もし私がこの作品に主人公として選ばれたなら、どんな風に書かれていたんだろうな、と想像しながら読んだりもしました。

「きみの友だち」を語る

 では早速、重松清さん「きみの友だち」について、私なりに好きに語っていきたいと思います。

「みんな」について

 まず、「きみの友だち」においてキーワードともいえる「みんな」という言葉について語りたいと思います。

 「みんな」は信じない、「みんな」仲良くなんてうそ、「みんな」が一番面倒くさい、「みんな」に付き合ってるひまなんてない・・・この作品にはこんな風に「みんな」という言葉が、大事な場面で何度も出てきます。そして、どれも「みんな」というものに対して否定的です。

 そして、私たちも無意識的にですが、「みんな」という言葉をよく使っています。「みんな知ってるよ」「みんな使っているよ」「みんな言ってるよ」・・・何気なく使っているこの言葉ですが、実はこの言葉が私たちの心をどれだけ縛っている。自分の意思とは違っていても、「みんなはこうだよ」と言われたら、それとは違うものを選ぶのはどうしても不安になってしまう。最近ではSNSなどでもこの「みんな」という概念が無意識に人々の思考の流れをコントロールしているように思います。「みんな好きだよ」「みんな嫌いだよ」・・・崇めるか叩くか、その理由を自分の心の中ではなく、「みんな」の中に探し求めているように思えてなりません。「みんなが好きだからこれはいいものなんだ」「みんなが嫌いだからこれは悪いものなんだ」・・・では、自分自身はそれが好きなのか嫌いなのか、それともどうでもいいのか、そんな風に考えることが少なくなっているように感じます。

 もちろん「みんな」の中に真実が一つもないとは思いません。一般論を語るのに「みんな」という言葉は不可欠ですし、多くの人がいいと思うものは実際にいいことが多いです。「みんな」の中にいることが悪いのではなく、「みんな」の中にいることが、結果ではなく「目的」になってしまってはいけない、と思うのです。

 「みんな」の中にいたい、「みんな」の中にいないといけない、そんな風に「みんな」に最も縛られる時期って、やっぱり学生時代だと思います。同い年の子たちが、同じ制服を着てただ同じ場所に集められているだけの狭い世界。自分が何者であるかまだ何も確信できない子どもたちは、一人ぼっちであること、他の子と違うことを恐れ、「みんな」の中にいることを望みます。でも、性格も育ってきた環境もバラバラの子どもたちを「みんな」という言葉で一括りにできるわけもありません。それを無理矢理一括りにしようとすると、当然噛み合わない部分が出てきます。帳尻を合わせるために誰かが弾き出されることになり、それを見た他の子は、そうなりたくないと、余計に「みんな」に合わせていくようになり、「みんな」はますます強固になってその中にいる子たちを縛り付け、弾かれた子に疎外感を抱かせることになります。

 「みんな」が一番面倒くさい・・・恵美ちゃんの言葉ですが、まさにそうだと思います。「みんな」の中にいると、勝手に自分の役割が決められてしまいます。この子は「みんな」の中ではこういう子・・・その与えられた役割を上手くこなさなければ、弾き出される。その役割やイメージと違う自分は、押し隠さなければなりません

 では、そこまでして固執する「みんな」は、私たちに何を与えてくれるのでしょうか。まず一番に浮かぶのは、安心感でしょうか。それはあるかもしれません。「みんな」から外れるということは、孤独ということで、味方がいないということです。でも、本当にそうでしょうか?「みんな」の中にいれば孤独ではないのか、「みんな」はあなたの味方なのか。そう考えると、違う気もしてきます。「みんな」の中にいる人たちの価値は、「みんな」の中にいること。ならば、「みんな」から弾き出されたとき、あなたには価値がなくなってしまいます。「みんな」の中にいる人々は、「みんな」から外れたあなたの味方はしてくれないでしょう。堀田ちゃんが「みんなぼっち」という言葉を使っていますが、これはとても的確な表現だと思います。

 「みんな」から離れてみて初めて、本当に大切なものが見える。もちろん、「みんな」の中にいても、大切なものを見つけることはできます。重要なのは、「みんな」から離れないとその大切なものを失ってしまう、そういう場合に、「みんな」から離れることができるかどうか、だと私は思っています。「みんな」よりも優先できる大切なもの・・・人生の中で、それを見つけられた人は、強い、と私は思います。

 恵美ちゃんも由香ちゃんも、自分の意思で「みんな」から抜け出たわけではなく、やむをえない事情によって弾き出されたわけですが、その結果、「大切なもの」を見つけることができました。恵美ちゃんは特に、事故に遭う前はクラスの人気者で、「みんな」の中にいるタイプの子だったので、あの事故に遭わなければ、ずっと「みんな」に縛られていたのではないかと思います。「みんな」から出なければ由香ちゃんと仲良くなることもなかったでしょうし、由香ちゃんがどういう子なのか、考えることもなかったでしょう。「人生でいちばん大切な一日の、いちばん大切な瞬間」がどこなのか、知ることもなかったでしょう。

 私がこの作品を好きだなと思うのは、「友だち」について描いているのですが、「友だちこそ一番大切なものだ」という描き方はしていないところです。恵美ちゃんにとっての一番大切なものは「友だち」だったかもしれませんが、それはあくまで恵美ちゃんにとっての、という話で、「一番大切なもの」は人それぞれ。友だちがいない人間にだって、他に「大切なもの」はきっとあるはず。この作品が私たちに本当に教えてくれているのは、「一番大切なもの」の見つけ方なんだと感じました。

『もこもこ雲』について

 次に、こちらも物語全体を通して出てくるキーワード「もこもこ雲」について。

 もこもこ雲というのは、かつて由香ちゃんがいた大学病院の「お友だちの部屋」の天井に描かれていた小さくてぽつんとした雲で、もう塗り替えられていてその天井にはありませんが、由香ちゃんはずっと空のどこかにその「もこもこ雲」を探しています。そして、由香ちゃんの入院している部屋の天井に描いてあげるために、恵美ちゃんもその「もこもこ雲」を探していて、だから一緒にいると、二人は空を見上げていることが多いのです。そして由香ちゃんが亡くなってからも、恵美ちゃんはカメラで雲の写真を撮りながら、「もこもこ雲」を探し続けているのです。

 この「もこもこ雲」というのが何なのか考えてみました。言葉では言い表せないけれど、きっとそれは優しい、優しい存在なんだろうな、と思います。生きるのが下手くそな子、上手く「みんな」の中に入れない子、何もかも冴えない自分が嫌になってしまう子・・・そういう子たちを空からそっと見守っているような、そういう子を絶対に一人ぼっちにさせない、そんな存在なんだろうな、と。恵美ちゃんも言っていましたが、「もこもこ雲」はきっと、かげりが一つもない晴れ渡った青空がちょっぴりしんどい誰かのためにあるんだと思います。隅っこでぽつんと一つ浮かぶことで、そういう子たちの味方をしてくれている、それがもこもこ雲なのだと。

 そして、恵美ちゃんと由香ちゃんは、それぞれ、お互いのことを「もこもこ雲」だと言っていました。お互いがお互いにとってそういう存在だったのだと思います。そして由香ちゃんは亡くなって、そのまま空に昇り、「もこもこ雲」になりました。
 優しい子は天国に行くときに、『もこもこ雲』を空に残す
 何て素敵な考え方だろうと思うと、涙が出そうになりました。この世の中、優しければ優しいほど損をしてしまうことが多い。優しい子は、自分が損をしても、自分以外の誰かが損をしなかったことにほっとして笑う。そんな子は、きっと、同じように優しすぎて損をしている誰かを見守る「もこもこ雲」になる。無意識のうちに利用されているだけで誰にも気付かれないその優しさが存在しなかったことにならないように、「もこもこ雲」は見てくれているのです。

 そして、恵美ちゃんもまた、色々な人の「もこもこ雲」になります。悩んでいる人や、焦っている人たちに、恵美ちゃんはその人が自分らしくいられるように、自分らしくいる自分を好きになれるように、ぶっきらぼうながらも優しい言葉をかけてあげるのです。

「もこもこ雲」というのはあくまでも比喩で、それがいったい何なのかは人それぞれです。そして、この世にいる全ての人には、きっと、「もこもこ雲」が必要な瞬間が来ると思います。どんな明るい人でも、どんなに優秀な人でも、必ず。そんなとき、ちゃんと「もこもこ雲」がその人の近くにあればいいなと思います。この作品そのものを「もこもこ雲」にするのもあり、だと思います。

各話の主人公たちについて

 ここからは、それぞれの子どもたちについて、私が思ったことを語っていきたいと思います。

恵美ちゃんと由香ちゃん

 まずは、当然、恵美ちゃん由香ちゃんから。

 元々は「みんな」側にいましたが、事故がきっかけで弾き出されてしまった恵美ちゃんと、病気がちなことやおっとりした動作や性格などが合わさって、初めから「みんな」の外にいた由香ちゃん。この物語は、恵美ちゃんを主人公にした話以外の話では、恵美ちゃんは、主人公の子に大事なことを教えてあげるという立場なのですが、そんな恵美ちゃんに最初に大事なことを教えてあげたのは実は由香ちゃんで、そういう意味で、恵美ちゃんは由香ちゃんには敵わないんじゃないかと思うのです。

 ずっと意地悪されてたのに、みんなから仲間外れにされた堀田ちゃんのことを思いやったり、恵美ちゃんから一方的な酷い言葉を投げつけられても、自分から歩み寄って仲直りしたりと、由香ちゃんは、誰に教えられなくても、初めから、大切なことが何なのか、よく分かっている子でした。「みんな」の中にいたことがなく、だからこそ余計なものに縛られなかったのだと思います。おっとりして、ちょっと鈍くさくて・・・そんな風に描かれている由香ちゃんですが、実は一番すごい子だと思います。しかも若くして命に関わる病気を抱えているのに、その理不尽に対する怒りを周りに向けず、むしろ周りを思いやる様子を見ても、一番強い子だったのではないかと思うのです。

 性格が全然違うこの二人がどうして友だちになったのかということについて、恵美ちゃんは「歩く速度が同じだったから」と言っています。松葉杖の恵美ちゃんと、病気がちでちょっと鈍い由香ちゃん。二人は他の人よりも少し歩くのが遅い。さっさと軽やかに歩いて行くみんなの中、どうしても遅れてしまう二人は、それで仲良くなったのだと。実際に友だちってそういうものなのかもしれない、と思いました。友だちになるきっかけなんて些細なもので、そこから時間を過ごして、合わなかったら自然と疎遠になるし、そこから一生の友だちになることもある。「理屈とか理由とか、友だちには関係ない」という言葉も作中にありますが、きっと言葉では言い表しきれない、相性というのがあるんだと思います。そして、相性がいいと感じるポイントは人それぞれだと思うのですが、無理せずに一緒にいられる、というのがこの二人にとってわりと大きかったのかな、とも思いました。「歩く速度が同じ」というのは、そういうことなんじゃないかな、と。

途中でいなくなっちゃうかもしれないけど、一緒にいてくれる?
これは由香ちゃんが恵美ちゃんに言った言葉ですが、遺される方ももちろんですが、遺す側であった由香ちゃんもまた辛かったのだろうな、と思いました。「絶対に相手を遺して旅立っててしまうことになる自分が、友だちを作っていいのだろうか。絶対に哀しさを遺してしまう自分が、相手の時間を奪ってもいいのだろうか。」優しい由香ちゃんは、そう考えていたと思います。でも恵美ちゃんは、由香ちゃんが亡くなっても思い出は残るから、出来るだけたくさんの思い出を作ろうと心に決めるのです。十五歳という、恵美ちゃんの人生の入り口でいなくなってしまう由香ちゃんを、残りの何十年も、死ぬまで忘れないでいるためには、思い出はいくらあっても足りないくらいだったのです。由香ちゃんとの思い出作りは、同時に、由香ちゃんの死への準備でもありました。思い出が増えるほど、別れは辛くなる。それが分かっていて、逃げずに由香ちゃんと思い出を作り続けた恵美ちゃんの覚悟はなみなみではなかったはずです。でもその思いがあったからこそ、一つ一つが、そして由香ちゃんと過ごす時間の一瞬一瞬が大切に思えたのではないかな、と思います。

 「いなくなっても、一生忘れない」・・・これって、すごいことだと思うんです。ついつい今目の前にいるものを大切にしてしまい、そうじゃないものは忘れてしまいがちな人間にとって、「いなくなっても忘れない」というのは最大の愛なのではないかな、と思います。「ずっと一緒にいなくても寂しくないのが友だち」とも恵美ちゃんは言っていますが、でも、本当は恵美ちゃんも、由香ちゃんとずっと一緒にいたかったと思うんです。できれば死ぬまで。でも、それは出来ない。「ずっと一緒にいなくても寂しくないのが友だち」・・・これを言えるようになるまでの恵美ちゃんの心の内を考えると、涙が出そうになります。

ブンとモト

 次は、恵美ちゃんの弟・ブンとそのライバル兼親友・モト。小学五年生のときに、モトがブンのいるクラスに転校してきたことで、二人は出会いました。モトが、「かなり出来るやつ」だったせいで、元々クラスの大将だったブンはその座を脅かされることになり、対抗心から最初二人の仲はあまり良いとは言えませんでした。しかし、一度思い切り喧嘩をし、そしてブンの姉・恵美ちゃんの助けもあって仲直りした二人は、そこから最高のライバル兼親友となるのです。

 個人的に、男子の友情と女子の友情って少し性質が違うと思っていて、この二人の友情はまさに「男子の友情」だな、と思いました。その違いが如実に表われるのって、「友だちが辛い思いをしているとき」だと思っていて、女子だと悩みを打ち明け合ったり、泣き合ったり、慰め合ったりして立ち直ることが多いと思います。でも多分男子って、そういう辛いとき、むしろ友だちには会いたくないのかな、って思ったりします。例え会ったとしても、悩んでることを悟られたくない、悟られたとしても、何も気を遣わずに、関係ないことばかりを話して馬鹿笑いしてほしい、そういう気持ちが大きいんじゃないでしょうか。多分友だちに気を遣われるって、めちゃくちゃ嫌だと思うんです。

 私は女子だから、男子の友情というのは想像しかできないんですが、多分男子にとって友だちって、友だちでもあるけど同時にライバルでもあるんじゃないかな、と思います。対等でいたいというか、勝ちたいということではなくて、肩を並べていたい、こいつと肩を並べられるような自分でいたい、そういう思いがあって、だから弱い自分をあまり見せたくないんじゃないかな、と思います。でも、やっぱり弱い自分とか、自分らしくない自分を見せないといけないときというのはあるわけで、そういうときに一番やりやすいのが「ねじれの位置」なんだと思います。

 向き合ってもいないし、背を向けあってもいない、お互いに別の方向を見て、別のことを話しているようにそっけない感じで、そんな風にして初めて、本音とか弱音とかが言える。そうしないと照れくさい。そのちょっと不器用でぎこちない感じが、女子とは違って、でもまたそれはそれで良さがあるな、と思いました。

 会ったときはモトの方が少し大人だった気がしますが、そこから二人はずっと親友として、そしてライバルとして、勝ったり負けたりを繰り返し、成長していきます。二人は確かに「親友」だと思うのですが、それを言葉にしていちいち確かめたくない、確かめなくてもいいと思っているのが、むしろ自分たちが友だちであるということに対する信頼を感じていいなと思いました。

堀田ちゃん

 次は小学生のときからの恵美ちゃん由香ちゃんの同級生・堀田ちゃんの話です。

 堀田ちゃんは、第1話の「あいあい傘」では、自分の保身のために恵美ちゃんと由香ちゃんを悪者にして弾き出した、いわば二人にとっては敵というか、悪役みたいな風に描かれていました。個人的に、そういう、一見悪役に見える子が主人公の物語もちゃんとあるのがこの作品の好きなところです。「みんな」の中にいれば、どんな子にも、それぞれ立場上の歯がゆさみたいなものがあって、一つ一つの行動にちゃんと思いとか理由とかがあるんだということ、それをちゃんと見てあげるというか、そういうあらゆるタイプの子に対する優しさみたいなのを感じました。

 堀田ちゃんは、恵美ちゃん由香ちゃんとは正直全くの正反対で、「みんな」の中でしか生きられない、そんな子です。特定のグループには所属せず、場面に応じてあっちにいったりこっちに行ったり・・・みんなと仲良しな子。でも、誰とも仲がいいということは、同時に誰とも仲が良くない、ということかもしれません。そんな堀田ちゃんは、いわゆる「八方美人」であり、それが疎まれて、クラスのみんなから仲間外れにされてしまいます

 八方美人な子って、信念がないと思われがちですが、私はこの「ふらふら」を読んで、決してそういうわけではないのだと思いました。堀田ちゃんにとっては、「八方美人」であることもまた信念なのかもしれない、と思ったのです。それは、「誰の敵にもならない」という信念です。堀田ちゃんは何よりも平和を望む子。誰にでもいい顔をするのは、自分勝手だからではなく、そうすることで、平和を保とうとしているのだな、と思います。誰かの味方をしてしまうと、相手にもまた誰かが味方について、その子は自分の「敵」になる。堀田ちゃんは何よりもそういう対立構造が嫌いで、だから八方美人のままでいる。「戦争」をして勝つことよりも、「平和」なまま、何となく負けてる方がまし――――堀田ちゃんはそういう風に言っていて、それを「信念がない」という人もいるかもしれませんが、私はそれも立派な信念だと思うのです。

 堀田ちゃんは、「みんな」に依存してはいますが、本当は誰よりも「みんな」の面倒くささを分かっている子でもあります。そして、実は堀田ちゃんみたいな子が、少し不吉な話、ふっと自殺しちゃったりすることもけっこうあるんじゃないかな、と思うのです。「自分の喪中だってだいじょうぶだ」――この言葉が出てきたときは、だから、ちょっとヒヤッとしました。堀田ちゃんみたいな立場の子って、賑やかに見えて、実はすごく孤独なんですよね。都合のいいときだけ利用されて、都合の悪いときは離れられる。それに対して誰にも罪悪感を感じてもらえない。「みんな」に対する堀田ちゃんの思いと、堀田ちゃんに対する「みんな」の思いが、釣り合わないというか、報われない部分が大きいな、と思います。

 結局、また堀田ちゃんは「みんな」の中に戻ることを選びます。でもそれも堀田ちゃんの信念であり、それが堀田ちゃん。「しゃべると、また色が変わってしまう」――立場や状況によってコロコロ色を変えるカメレオンのような堀田ちゃんは、きっと何かを話すことで色が決まってしまう。だから、自分の思っていることを容易に話すことができない。自由なようでいて不自由な堀田ちゃんが、何も考えずに話すことができる友だちがいつかできればいいな、と思いました。

三好くん

 次は「ぐりこ」の主人公・三好くんです。彼は、恵美ちゃんの弟・ブンちゃんの幼なじみです。成績もあまりよくなく、冴えない立場の三好くんは、幼い頃から仲良しのブンちゃんにいつもひっついている、いわば取り巻きの状態。学校の人気者・ブンちゃんの幼なじみであることだけが彼の誇りですが、ブンちゃんと自分との差は広がっていく一方で、そのことに対する漠然とした諦め、そして劣等感を抱えています。

 キラキラ輝くブンちゃんやモトくんとは違って、何も上手く行かない、冴えない自分。元々は幼なじみという対等の立場だったからこそ、その輝きはより近く、その分、より自分自身がつまらない存在に思えてしまう・・・。多分、ブンちゃんやモトくんを主人公とした物語よりも、三好くんを主人公にしたこの「ぐりこ」の方が、自分と重ね合わせて共感できる人が多いのではないかな、と私は思います。「自分が物語の主役をつとめるなんて夢にも思ってないはずの、君。」―――これは三好くんに向けられた言葉ですが、きっとこの世の多くの人が、この「君」に当てはまるのでは、と思います。特別なところなんてなくて、周りにいる特別な人の輝きを指をくわえて見ているしかない、そんな人たち。でも、三好くんがこの物語の主役をつとめたように、そんな人たちにだって、物語の主役はできるのです。むしろ、彼らを主役にしないと書けない物語があり、そして、その物語はきっと、彼らが主役だからこそ、誰かの心に響くのです。

 いつだって、ブンちゃんに嫌われないように、ブンちゃんに気に入られるように必死でブンちゃんのことをよいしょする三好くんですが、三好くんがそうすればそうするほど、ブンちゃんは彼に冷たくなるようです。でもそれはブンちゃんが三好くんのことを嫌いだからではなくて、むしろ、三好くんのことを対等の友だちだと思っているからこそだと思います。ブンちゃんにとっては、三好くんは取り巻きでも子分でもなく、小学校からの友だち。カーストなんて自分は全然気にしていないのに、必要以上に気にして卑屈に振る舞う三好くんの態度が嫌なんだろうな、と思います。それでも、やっぱりそれは人気者でトップのブンちゃんだからこその考えで、三好くんが卑屈になってしまう気持ちも、すごくよく分かります。

 ブンちゃんのお姉さん・・・つまりは恵美ちゃんと三好くんが話をするシーンは、とても印象的でした。
不公平でしょ、ぐりこって
 ぐりこでは、グーで勝っても三歩しか進めない。でも、グーでしか勝てない子がいる。たまにしか勝てないのに、よりにもよってグーで勝つものだから大して進めなくて、だからいつもみんなより遅れてしまう―――これは三好くんのことですが、三好くんだけではなく、三好くんみたいな、特別なこと、秀でたことが何もない、上手くいくことよりも上手くいかないことの方が多い、そんな子たちのことです。チョキやパーで勝ってぐんぐん進んでいく子たちの後ろ姿を眺めているしかない子たち。

 「ゆっくりでいいじゃん」「ちょっとずつで
 ぐりこでグーでしか勝てない三好くんに恵美ちゃんが伝えたかったのは、この言葉。無理にチョキやパーで勝とうとするんじゃなくて、グーでしか勝てないなら、グーで勝ち続ければいいきっとそれが三好くんの歩幅で、たとえちょっとずつでも、ゆっくりでも、前に進んでいるならそれでいい。他の子がパーで勝とうがチョキで勝とうが、そんなのは気にしなくていい。最終的に自分のペースでゴールまで辿り着ければいい。人生は競争じゃないのだから。そういう意味が込められているのかな、と思いました。

花井さん

 次は「にゃんこの目」の主人公・花井さんです。恵美ちゃんと由香ちゃんの中学生のときのクラスメイトでした。

 花井さんには、志保ちゃんという、ちゃんと「親友」と呼べる子がいます。恵美ちゃんと由香ちゃんのように、花井さんといえば志保ちゃん、というような仲の良い子ですが、最近、志保ちゃんに彼氏ができて、志保ちゃんが彼氏との時間を大切にし始めたことから、二人の友情に少しほころびが入るのです。

 まあ、あるあるだよな、と思います。親友に彼氏ができて、そっちの方が優先になって友だちが遠のいていく、みたいなのは、若いほどよくあるのではないでしょうか。花井さんは、そんな志保ちゃんとの関係の変化に対して、寂しい、というよりは不安に思っているように感じました。志保ちゃんの中で自分の存在がどんどん小さくなっていくことに対する不安・・・それはただ友だちが離れていくというそれだけではなくて、自分自身の存在意義というか、そういうもっと大きくて漠然としたものの揺らぎにも繋がってきます。「志保ちゃんの親友」でなくなってしまったら、自分とはいったい何なんだろう・・・そんな風に思ってしまっているのです。

 志保ちゃんとのことで、心因性の視力障害を引き起こしていることからみても、花井さんはけっこう志保ちゃんに、依存とまではいかなくても、それの一歩手前くらいの状態だったのではないかな、と思います。でもそれは志保ちゃんがいなくなると一人ぼっちになってしまうだろう自分を危惧してのことであり、友情とはまた違うような気がしました。友だちとはずーっと一緒にいたいもの・・・それが花井さんの考えで、でもそれは同時に、一緒にいない時間が増えると心も離れてしまうのではないかという不安が根底にあって、それって、本当に友だちなのかな、と少し思ってしまいました。「一緒にいなくても寂しくないのが友だち」・・・恵美ちゃんはそういいますが、それは一緒にいたくない、ということではなくて、一緒にいなくても大丈夫、という大きな信頼から来ている言葉なのだと思いました。

 きっとまだ花井さんは、本当の意味での「友だち」を見つける過程の途中。それが志保ちゃんであれ、別の子であれ、そんな相手が見つかればいいな、と思いました。

佐藤先輩

 次は「別れの曲」の主人公・佐藤先輩です。彼は、ブンちゃんとモトくんのサッカー部の先輩で、三好くんを主人公にした「ぐりこ」でも登場していました。そのときは、目立っていて生意気な一年生のブンちゃんとモトくんをシメる、いわゆる不良で怖い先輩として書かれており、立派な悪役。でもこの物語はその佐藤先輩が主人公です。彼がいったいどんな人間なのか、あんな横暴な態度を取る裏にはどんな感情があるのか、それにしっかりとスポットを当てているのが、とてもいいと思いました。

 佐藤先輩は、決していい人とは言えないですが、でも同時にとても弱い人でもあります。サッカー部を引退した三年生ですが、部にいた頃も実力はからっきしで、ずっと補欠。でも舐められるわけにはいかないと、態度だけは大きく、後輩たちに威張り散らかして疎まれている、どうしようもなくかっこ悪い先輩・・・それが佐藤先輩です。褒められたものではないですが、態度が大きくても、偉そうな口をきいてはいても、彼は決して勝者ではなく、むしろ敗者側で、だからこそ、どことなく痛ましさを感じてしまいます。

 ずっと補欠で試合に出たことがなくても、バレンタインにチョコを一つももらえなくても、プライドは捨てきれない。そのせいで、それをネタに昇華することもできず、自分の情けなさを分かっていながら、横暴な態度を改められない・・・そんな佐藤先輩の物語は、きっと「ぐりこ」の三好くんと同じで、ブンちゃんやモトくんよりも、あ、自分のことかもしれない、と思う人が多いのではないでしょうか。あまりにも完璧すぎる後輩の前で先輩で居続けるためには、彼にはああやって威張るしかなかったのだと思います。プライドを捨てるって簡単にはできないこと。「お前ら、全然俺よりすげーよ」その一言を後輩に言うことは、上下関係の厳しい中学の部活では特に難しいのだと思います。

 でも、補欠で一度も試合に出られなくても、それでもずっとサッカー部にいたのは、佐藤先輩がサッカーが好きだったからだと思います。でも、ずっと試合に出られなかったり、後輩に先を越されたりしたら、いくら好きでも、いや、好きなことだからこそ、その好きという気持ちが報われないと疲れてつまんなくなってしまうものですよね。佐藤先輩もそうだったんだと思います。恵美ちゃんが話してくれた、ビデオに映っていた佐藤先輩。ブンちゃんとモトくんが決めた鮮やかな逆転勝利に、ベンチで跳びはねて喜んでいた姿。読んでいて私もちょっと、意外な気がしましたが、きっと、それが佐藤先輩の素直な姿なんだろうな、と思います。
16番がいちばん大きなガッツポーズつくってたよ、いばっていいよそれ、ほんとだよ
 いつも空威張りばっかりしていた佐藤先輩に恵美ちゃんがかけたこの一言が優しくて、好きでした。

西村さん

 次は、「千羽鶴」の主人公・西村さんです。恵美ちゃんのクラスに転校してきたばかりだった西村さん。実は、前の学校でいじめられていて、それが転校の理由でした。個人的に、この作品の中で、この子には絶対に幸せになってほしいな、と一番思ったのが西村さんでした。

 前の学校でいじめられて、心身共に体調を崩して入院までして、しかも、その入院先に届けられたクラスメイトからの千羽鶴は、開いたら自分への悪口が書いてあった・・・そんな信じられないくらい酷い体験をした西村さんは、その傷が癒えないまま、恵美ちゃんのクラスにやってきました。いじめのいちばん怖いところはなんですか?と誰かに訊かれたら、「性格を変えられちゃうところです」と答えるつもりだという西村さん。いつだって誰かに悪口を言われていないか不安で、出しゃばったらまた嫌われそうで上手く話せない。身についてしまったこの臆病さは、紛れもなくいじめの後遺症です。でも、その後遺症に負けまいと、西村さんはクラスに溶け込めるように頑張ろうとします。

 入院している由香ちゃんのためにみんなで千羽鶴を折ろう・・・それが、西村さんがクラスに溶け込むために提案したことでした。千羽鶴を折る、というのは、西村さんにとっては決死のリベンジでもありました。前の学校のいじめっ子たちに植え付けられた千羽鶴の悪いイメージを塗り替えること、あいつらが悪意の道具に使った千羽鶴を、自分は誰かのために心を込めて折ること・・・そうすることで、西村さんは過去の辛い記憶と、自分をいじめたやつらと、闘おうとしたのです。

 でも、それに必死になるあまり、西村さんは大切なことを蔑ろにしてしまっていました。それは、千羽鶴の受取手である由香ちゃんを思う心です。由香ちゃんを元気づけるために千羽鶴を折る、のではなく、千羽鶴をクラスのみんなで折ること、それ自体が目的になってしまっていました。それは西村さん以外の子たちもそうで、「病気の友だちのために千羽鶴を折っている私たち」を学生時代の一場面に残したかっただけなのだということが、伝わってきました。誰も、心から由香ちゃんのことを思ってはいなかったのです。そして、それに西村さん自身が気が付いていないのも問題でした。だから恵美ちゃんは、少々キツい言葉ですが、西村さんに言ったのです。
自分のために千羽鶴折るのって、やめれば?
由香は、あんたのために病気になったわけじゃないから
「クラスメイトだから友だち」は絶対に違う、作中でも恵美ちゃんはそう言っていました。今まで話したこともなかったのに、仲良くもなかったのに、クラスメイトだから千羽鶴を折る、そういうのが、恵美ちゃんは嫌だったのだろうな、と思います。

 しかし、元々そこまで気持ちのなかった他の子たちは千羽鶴折りから一人また一人と抜けていき、提案者であり、いじめという過去を乗り越えたいという切実な思いを抱えた西村さんだけが残ることになります。西村さんの切実すぎる思い、「今度こそ上手くやらないと」という焦りは、他の子との温度差を生み、かえって彼女をクラスから浮かせてしまう結果になりつつありました。
西村さん、ちょっと浮いてるよ、うちのクラスで。しゃべり方とかタイミングとか、気をつけた方がいいかも
 これを西村さんが言われたときは、私も自分が言われたように胸がぎゅっとなりました。頑張れば頑張るほど、空回りしている辛さとか、それに気付く瞬間のショックとか、そういうのがひしひしと伝わってきました。正直浮いてるって伝えてくれるだけ、ミヤちんは親切な方だと思うんですけど、でもこういう、「分かってなさそうだからいうけど」っていう感じで事実を教えられる感じの言い方の方が、けっこう心にグサッと来たりしますよね・・・。

 友だちって何なのか、分からなくなってしまった西村さんですが、恵美ちゃんと一緒に由香ちゃんのお見舞いに行って、そこで一緒に千羽鶴を折ります。由香ちゃんに関することについては頑なな恵美ちゃんが、西村さんを由香ちゃんのお見舞いに誘ったのが、少し意外な気がしました。けれどきっと恵美ちゃんは西村さんの心の傷が「みんな」に付けられたものだということを何となく感じ取っていて、だからこそ西村さんを「みんな」から切り離して、特別に連れていってくれたんだろうな、と思います。

 大事なのは心・・・どんな言葉でも、そこに心がなかったら誰にも届かないし、言葉がなくても、心があればきっと届けたい人に届くはず。そしてその心は、本物でなければいけない。いつか西村さんが、いじめを克服するためでも、親を安心させるためでも、クラスで浮かないためでもなく、純粋に「友だちになりたい」と心から思える子と出会えればいいな、と思います。

ラストについて

 さて、この物語の終わり方ですが、私はすごく好きでした。一言で言うと、これまでの話は全部、恵美ちゃんの将来の結婚相手が書いたものだった、ということです。そして、ラストは彼と恵美ちゃんの結婚式で幕が閉じます。

 これまでの物語は、主人公はいましたが、語り手は彼らではなく、彼らのことを知っている誰かが、彼らのことをまるで温かく見守るように、「きみ」と呼びながら語っている、そんな感じでした。それがいったい誰だったのか、それが最終章で明かされるのが、とてもいいな、と思いました。

 この最終章で、それぞれの子どもたちのその後が明かされます。変わっていない子もいれば、変わった子もいて、幸せそうな子もいれば、あまり幸せではないかもしれない子もいて、でも、きっとみんな、あの頃の自分を懐かしく、愛おしく思いながら、精一杯今を生きているんだろうな、と思います。

 そして、個人的に、この作品にどうして肝心の由香ちゃんの物語がないんだろうと思っていたのですが、その理由も最終章で分かって良かったです。由香ちゃんが恵美ちゃんを本当はどう思っていたのかとか、どんな気持ちだったのか、どんな子だったのか、それはもう想像するしかできないからこそ、勝手に想像してほしくなかったのだな、と思います。想像というのはつまり嘘ということで、由香ちゃんにそれが本当かどうかを確かめる術はもうないからこそ、その想像は記憶の中で混ざり合って「事実」と区別が付かなくなってしまう。由香ちゃんとの記憶の中に少しでも嘘が混じるのが嫌だった恵美ちゃんは、「由香のことは、ほんとうのことだけ書いて」と言ったのだろうな、と思いました。この一言で、恵美ちゃんがどれほど由香ちゃんを大切に思っているのか分かります。

 堀田ちゃんと花井さんと西村さん・・・恵美ちゃんがわざわざ結婚式に呼んだこの3人は、恵美ちゃんの友だちであり、由香ちゃんの友だちでもあります。あの頃、恵美ちゃんや由香ちゃんと「友だち」について考えた子たち。恵美ちゃんを「松葉杖をついたひねくれた女の子」、由香ちゃんを「病気がちの大人しい女の子」、二人を「いつも一緒にいるはぐれ者同士」ではなく、ちゃんと恵美ちゃんと由香ちゃんとして、「みんな」から離れて話をして、そして心から由香ちゃんのことを思った子たち。一緒にいた時間は短くても、知っていることは少なくても、彼女たちは、ちゃんと恵美ちゃんの、そして由香ちゃんの友だちだったんだな、と思います。

 そして、恵美ちゃんが夫の小説に対して出したリクエスト、それはきっと、そのまま、この「きみの友だち」という作品がどんな子のためにあるのか、それが書かれた部分だと思うので、そこを引用して感想を終わりにしたいと思います。

ウチの『学校』に来てる子たちが、元気になれるようなやつね
なにやっても思い通りにいかない子が、まあいいや、ゆっくり歩いていくかあ、って思えるようなやつね
友だちってなんなんだろうって、わかんなくなっちゃた子に、ヒントをあげてくれる?

 どうか、こんな悩みを抱えた子たちが、この作品に出会えますように。

まとめ

 いかがでしたか?

 読む人の気持ちを考えずにちょっと長々と書きすぎたかな、とは思っているのですが、個人的に大好きで思い入れのある作品なので、思う存分に感想が書けて、今とても満足な気持ちです。

 最後まで読んでいただいた方、私の長く、つたない感想に付き合っていただき、ありがとうございました。これを機に、ぜひ、「きみの友だち」を読み直してみてください。

 では、ここらで。
 良い読書ライフを!

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