こんにちは、らくとです。
今回語るのは、道尾秀介さんの「向日葵の咲かない夏」です。
※注意!
この記事には「向日葵の咲かない夏」のネタバレが含まれています。
必ず、読了してからお読みください。
「まだ読んでいないので、ネタバレなしで感想だけ知りたい」という人はこちらの記事へどうぞ。↓
【大好きな本をネタバレなしで語る】「向日葵の咲かない夏」編 | らくとの本棚 (rakutonohondana.com)
了解した方のみ下へお進みください。
なお、この記事は解説というよりは、私が個人的に印象に残ったセリフ・フレーズや場面、そしてその感想を好き勝手に語るだけです。脈絡はないし、自己流に解釈しているところもあると思いますが、温かい目で見て、そして出来れば共感していただければとても嬉しいです(^^)。
あらすじ
主人公は小学四年生の男の子・ミチオ。明日から夏休みという終業式の日、彼は届け物をするために、欠席していたクラスメイト・S君の家に行きます。しかしそこで彼が目にしたのは、首を吊って死んでいるS君の姿でした。
動転したミチオは、慌てて学校に戻り、担任の先生に自分の見たものを話します。けれど、先生と警察が駆けつけたとき、S君の死体は忽然と姿を消していました。
その一週間後、死んでしまったS君が、あるものに姿を変えてミチオの前に現れます。そして、「自分は殺されたんだ」と訴えるのです。
ミチオと妹のミカは、S君の無念を晴らすために、事件を追い始めますが・・・。
場面ごとの感想
プロローグ
物語の始まりは、印象的な一文です。
「油蝉の声を耳にして、すぐに蝉の姿を思い浮かべる人は、あまりいないだろう。雨音を聞いて、雨滴のそれぞれが地面に接している瞬間を想像する人がいないように。」(5ページより引用)
最初の二ページはプロローグのようなもので、大人になったミチオが当時を思い出す形で独白しています。ミチオはどこかが狂ったような蝉の声が苦手だといい、生まれてこなければよかったといっています。
この時点で、ミチオの妹のミカが事件の一年後、四歳で亡くなったことが分かります。
このプロローグの時点でミチオの歪みのようなものが垣間見えますね。
S君の死体発見から消失まで
7月20日、終業式のその日は風が強く、ミチオはその音を恐ろしく感じていました。
私が印象的だったのは、S君が風に乗って窓の外を横切っていったシーンです。もちろん本物のS君のわけがないので、ミチオは幻を見たのでしょうが、どこかこれから起こることの不吉さを感じさせて、ぞっとしました。
そして、宿題のプリントなどを届けに、欠席したS君の家に向かうミチオ。庭に面した縁側に回ると、そこでS君が首を吊って死んでいました。ミチオがS君を見つけるまでの、繰り返される「きい、きい」という音がとても嫌な感じで、また、S君の死体の描写がやけにリアルで、このシーンは強烈に印象に残っています。
そして、垣間見えるミチオの家庭の闇。ミチオに対する母親の態度はあまりにも冷たく、「気持ち悪い」「暗い」「馬鹿」などと酷い言葉を浴びせ、ミチオを嘘つき扱いします。その一方で妹のミカには気持ち悪いほど優しいのです。一種の虐待とも言えるこの状況に、ミチオは静かに耐えています。どうやら昔ミチオがついた何らかの嘘が原因で、母親はミチオを嫌うようになったようですが、それにしてもあまりにも酷い扱いに、胸が痛みました。けれどもミチオ自身はそんな扱いを受けても母親を憎む様子がなく、それが余計にやりきれなかったです。子どもにとって、母親から嫌われるというのは、ものすごくショックなことだと思います。
「この世界は、どこかおかしい。」(55ページ)これがいつもミチオの胸の中にある思いです。哀しいです。
S君の生まれ変わりの登場
印象に残っているのは、部屋のドアを細めに開けたとき、目の前にS君の顔があったシーン。
「すぐ鼻先に、顔があった。眼を大きく見ひらいていた。口が、何か大声で叫んでいるように縦にあけられて、その上下に、並びの悪い歯の先が、ぎざぎざに覗いていた。」(72ページ)
めっちゃ怖くないですか?想像しただけで恐ろしかったんですけど。
そして、個人的に好きなのが、S君が国語の宿題で書いた『悪い王様』という作文です。物語の大筋にはあまり関係ないですが、S君の歪みというか、絶望というか、そんなものを象徴するような気味の悪い作文でした。
そしてS君があるものに生まれ変わって現れます。「あるもの」とは蜘蛛でした。そして、「自分は岩村先生に殺された」と主張します。これはすごくびっくりしました。岩村先生というのはミチオとS君の担任の先生で、それまではどちらかというと好感の持てる感じで書かれていたからです。しかも、近隣で起こっている犬猫殺しまで先生の仕業なのではという疑惑まで出てきます。ここから、ミチオとミカとS君の探偵ごっこが始まるのです。
「そりゃそうさ。だって、僕の人生って、学校で無視されて、家に帰ってごはん食べて寝て、また学校で無視されて、家に帰って――それがぜんぶだったんだ。」(155ページ)
なぜ人間に生まれ変わりたくなかったのか、その理由をS君が語った場面です。S君自身はさりげなく言った言葉ですが、とても哀しいセリフだと思いました。家が母子家庭で貧乏、それ故学校でもいじめられ、無視されていたS君の人生の暗さがこの言葉に詰まっていると思います。
そして、S君の死体を取り返そうと岩村先生の家に忍び込んだミチオは、そこで岩村先生の特殊な性癖を知ります。それは、少年の身体に興奮するというもので、ただ隠れて好きなだけではなく、実際に被害にあった少年が何人もおり、そしてS君もその一人でした。友達も父親もいないS君は、岩村先生に可愛がられることが少し嬉しかったと話し、そこにつけ込まれたのだと憎々しげにいいます。これもまた、S君の人生を暗くさせている要素の一つだったのだと思い、やりきれなくなりました。
S君の死体発見からS君の退場まで
S君の母親から、S君がビンの中で子猫を飼うという残酷な遊びにふけっていたことを知ったミチオは、S君に対する不審を募らせます。ここで、ひょっとしたら犬猫を殺していたのはS君ではないかという疑惑が出てきます。
物語全体を通して印象に残っているのが、ミチオがS君を殺そうとした場面です。蜘蛛と人間という圧倒的優位な立場を利用して、S君の入っているビンの中に、大きな女郎蜘蛛を入れたのです。逃げ惑うS君を楽しそうに眺めるミチオの姿はおぞましいものがありましたが、間一髪、ミチオは自分のしていることに気付いて、女郎蜘蛛を叩き潰します。
自分がこんな残酷なことができるのだということに呆然となったミチオですが、そこで初めて、ビンの中で子猫を飼っていたS君の気持ちが分かったような気がします。
人間は、どうしようもない現実に追い詰められたり、やり場のない気持ちを抱えすぎたりしたとき、自分よりも弱い者に対して残酷なことをしたくなってしまう・・・そうすることで、自分の心の均衡を保っているというか、ある意味ではそうすることで自分の心を守っているのだな、と思いました。それはきっと、限界に近づいた人間なら誰もがするかもしれないことで、自分は絶対にしないとは言い切れません。人間というものの底知れなさ、恐ろしさ、そして同時に哀しさを見たような気分になりました。
そして、やはり犬猫を殺していたのはS君で、そして犬猫の足を折っていたのはS君の家の近くに住んでいるおじいさんだった、ということが明らかになります。そのおじいさんは、子どもの頃のトラウマから、死体が生き返るかもしれないという強迫観念を抱えており、死体を見たら足を折らずにはいられなかったのです。その強迫観念が蘇ったのは一年前。交通事故を目撃したおじいさんは、その事故の被害者の少女の最期をその場で看取ります。しかし、その少女はおじいさんこそが自分を轢いた犯人だと勘違いしており、彼に呪詛の言葉を浴びせます。少女が生き返って自分の元に来るかもしれない、と怯えたおじいさんはその場で少女の足を折ってしまうのです。
このおじいさんは比較的まともな人かと思っていましたが、この人もまた歪んだ強迫観念に支配されていました。とにかく、犬猫殺しの真相は、これで大方が暴かれました。
そして、ミチオがS君を殺す場面。これはとても呆気なくてびっくりしました。S君(の生まれ変わりの蜘蛛)は、ミチオの指の中で潰されて死にます。これで、S君はこの物語から退場します。ここも大事ですが、もっと大事なのはその次の描写。死んでしまったS君を、ミカが食べてしまうのです。ここで、「ああそういうことか」と悟った人もいれば、「え?どういうこと?」となった人もいると思います。そう、ここがこの小説に仕掛けられた大トリックの最初の種明かしなのです。(詳しいことは次で)
物語の結末
この事件の決着は、クヌギ林の中で着きます。
結論から言うと、S君は自殺、S君の死体を持ち去ったのはおじいさんでした。S君の死体は、S君からおじいさんへの最後のプレゼントだったのです。おじいさんは、死体の足を折らずにはいられないのではなく、死体の足を折りたかったのです。それを分かっていたS君が、おじいさんに犬猫の死体をプレゼントし、最後に自分の死体をプレゼントしたのでした。
ここで、衝撃の事実が次々と明かされます。それは、トコお婆さんが猫であること、スミダさんが花であること、そして何よりも、ずっとミチオのそばにいて、ミチオと一緒に行動していた妹のミカがトカゲであること。まるで人間のように描かれており、そして主人公であるミチオ自身がそう思い込んでいたために、私たちも完全に騙されてしまっていたのです。推理小説でよく使われる、いわゆる叙述トリックというやつですね。まさか叙述トリックが使われているとは思っておらず、初めて読んだときはびっくりしました。けれど、後から読み返してみれば、けっこう伏線が至る所に張られており、勘のいい人ならば、最後の方には結構違和感を覚えていたのではないかと思います。
そして、ミチオは言います。
「僕、物語を終わらせたくなったんだ。」(413ページ)
「物語をつくるのなら、もっと本気でやらなくちゃ。」(416ページ)
彼にとって「物語を終わらせる」とは、おじいさんを殺し、全ての罪をおじいさんに被ってもらう、ということでした。
このクヌギ林でのおじいさんとミチオの命を懸けた戦いには緊迫感がありました。結局、この物語の中で一番狂っていたのは、そして一番恐ろしかったのは主人公のミチオだったのだとこのシーンで分かります。
この戦いのラストの、安堵から絶望への落差がとても印象に残っています。やっぱり道尾秀介さんは、場面の展開とか描き方とかが上手いというか、どういう風に書けば一番面白いかというのをよく分かっている作家さんだなあ、と改めて思いました。
後日
さて、その数日後、カマドウマに生まれ変わったおじいさんとミチオの会話で、さらに驚きの真実が明かされます。
S君は自殺、その結論は変わりませんが、S君の自殺の原因を作ったのは他ならぬミチオでした。なんとあの日の朝、学校に行く前に、ミチオはS君の家に寄って、「死んでくれない?」というお願いをしていたのです。この事実を知ったときにはぞっとしました。いじめっ子に「死ね」と言われるよりも、自分をいじめていたわけでもない普通のクラスメイトに、冷静に「死んでくれない?」と言われる方が、S君の心のダメージは大きかったのでしょう。しかしミチオ自身はS君を憎んでいたわけでも本当に死んでほしかったわけでもなく、ただ演劇会に出たくないというだけの理由でそんなことを言ってしまったのです。その何気ない一言から今回の事件の全てが始まったわけです。
もちろんS君が一番可哀想なのはそうなのですが、個人的にはミチオもすごく可哀想だと思いました。後に分かることですが、ミチオの母親がミチオを嫌っているのは、3年前にミチオがついた嘘のせいで、当時妊娠中だった母親が流産してしまったことが原因でした。それが母親を喜ばせるためのサプライズについた嘘だったのが、また哀しいです。そして、今回もまたそれと同じようなことが起こってしまったわけです。自分の何気ない行動のせいで、また、二度と取り返しのつかないことが起こってしまった・・・そんなミチオの後悔というか、やり場のなくなった罪悪感が、「S君が蜘蛛になって生まれ変わった」そして「自分は殺されたんだと主張した」という幻想の物語を作り出してしまったわけです。
「僕だけじゃない。誰だって、自分の物語の中にいるじゃないか。自分だけの物語の中に。その物語はいつだって、何かを隠そうとしてるし、何かを忘れようとしてるじゃないか」(443ページ)
結局のところ、この小説で道尾秀介さんが伝えたかったのはこの一文なんじゃないかと思います。「誰だって、自分の物語の中にいる」・・・ミチオは、3年前、自分が母親のお腹の中にいた妹を死なせてしまったという事実に耐えきれず、トカゲが妹のミカの生まれ変わりだという物語を作り出しました。ミカもスミダさんもトコお婆さんも全てはミチオの想像の中の産物であり、ミチオが作り出した物語の中だけの登場人物です。
そして、自分だけの物語の中にいたのは、ミチオの母親も同じでした。ミチオの母親はただの人形を、生まれて来なかったはずの娘のミカだと信じ込んで接していました。娘を亡くした哀しみが、彼女にそんな幻想を抱かせたのでしょう。
普通の人から見れば、この二人は狂っているように見えるかもしれませんが、意外とみんな似たようなことをやっているのではないかと思います。取り返しのつかないことや忘れたいことは誰の人生にもあるはずです。それを直視してちゃんと向き合っていける人なんてほとんどいなくて、実際はみんな現実を自分の都合のよいように解釈して、上手く何かに紛らわせて・・・そんな風にして生きている。そんな風にしないと生きていけない。どんな人だって、ある程度は現実を自分の都合のいいように書きかえている・・・それが物語を作るということなら、みんなやっていることだ。ミチオはそう言いたかったのでしょう。ただミチオはその物語の作り込みがより徹底的だったというだけで、そしてそうしないとやっていけないほど、彼の心の傷は深かったということでしょう。確かに考えてみたら、ミカもスミダさんもトコお婆さんもそしてS君もみんなミチオの妄想だとしたら、ミチオは客観的に見るとすごく孤独な子どもだと思います。そう思うと、「物語をつくるのなら、もっと本気でやらなくちゃ。」という416ページのミチオの言葉がより凄みをもって感じられます。
そして、最後。
「物語を壊すことなんて、できるのかい?」
「できるさ――簡単だよ」(451ページ)
ミチオは物語を壊すことを決意します。そして、家に火を点けるのです。ミチオは物語諸共、自分も死ぬつもりでした。
ミチオは最後まで母親のことを憎まずに、それどころか「嫌いじゃなかった」と言います。そして、今日が自分の誕生日だということを知っているかと両親に問うのです。このシーンは、本当は家族に愛されたかった普通の少年の一面が垣間見えて、切なくなります。そして、それに答えるように少しだけ家族が形を取り戻そうとするのも、ぐっと来ました。
そして、ここからさらに後日談があります。
ミチオとミカ、そして母と父が会話をしています。一見全員無事に生き残ったように見えますが、実際はそうではありません。最後から3行目の描写で、アスファルトに伸びている影は一本。つまりは、ミチオだけ。つまりは、それ以外の3人はミチオの妄想。結局ミチオは物語から抜け出せなかったようです。最後まで何も解決しない、後味の悪い終わり方でした。いつかミチオが物語から抜け出すときは来るのでしょうか。けれど、ここでプロローグに戻ってみると、この一年後にミカ(トカゲ)が死ぬことが分かりますので、そこでミチオも目を覚ますのではないかな、と思います。この後ミチオがどうやって生きてくのかが心配でした。
総合的な感想
全体的に陰鬱としていて、どこかが歪んだ気持ちの悪いお話でした。けれどその気持ち悪さが癖になるというか、その歪んだ世界観がはまる人にははまるのではないかな、と思います。とにかく登場人物にまともな精神状態の人がほとんどいない。みんなどこかが少し狂っていて、でもそれを隠しながら、または見ないフリをしながら普通に生きている、そんな感じでした。何だこの人たち、気持ち悪い、恐ろしい・・・そんな風に思いながらも、でも、人間って、多かれ少なかれみんなそうなのかもしれない、そんな一面があるのかもしれない・・・そんな風にも思わせられて、人間という存在の奥底にある昏さを見たような気になりました。
ただ、好き嫌いがはっきり分かれる本だと思います。読んでいい気持ちはせず、むしろ嫌な気持ちにはなりますが、そこがまたこの本の魅力でもあります。この本を読むことでしかできない読書体験というものがあります。似たような作品というのが他にない、唯一無二の傑作ミステリーでした。
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では、ここらで。
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