【間違いなし】本屋大賞受賞作おすすめ13選!

おすすめの本
Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 ※この記事には広告が含まれています

 みなさんこんにちは、らくとです。

 みなさん、「本屋大賞」ってご存じですか?

 本屋大賞とは、全国の書店員が、ある一定期間内に刊行された本の中から、一番売りたい本」を選び、投票することによって決まる、その名の通り「本屋さんが決める賞」なのです。

 歴史はそれほど長くはありませんが、小説家や評論家などといった人々ではなく、「書店員」という、一般の読者に近い人々が選ぶ賞ということもあって、大衆性のより高い、言うならば「誰にとっても読みやすい」作品が受賞することが多いです。そのため受賞作は毎年話題になり、本業界を活気づけてくれます。

 この記事では、過去に本屋大賞を受賞した作品の中から、私のおすすめを13冊、紹介したいと思います。

本屋大賞とは?

 おすすめの本を紹介する前に、「本屋大賞」について、もう少し詳しく解説したいと思います。

 前述したように、本屋大賞というのは、書店員の投票によって決まる賞です。一定の期間の中で出版された新刊本の中から、全国の書店員が自分で実際に読んだ上で、「面白かった」「人に薦めたい」「多くの人に読んでほしい」と思った本を選んで投票し、最も選ばれた作品がその年の本屋大賞となります。

 設立の経緯として、本が売れないといわれるこの時代だからこそ、本を生み出す出版社や作家のみならず、本を売り、一般の人々に届ける「本屋」という場所からも出版業界を盛り上げていこう、本好きたちのそういう熱い思いが形になり、2004年に始まったのがこの「本屋大賞」なのです。

 投票方法としては、一次投票と二次投票があり、一次では一人3作品まで投票でき、そこで上位となった10作品がノミネート本として発表されます。二次投票では、そのノミネート作品10作品を全て読んだ上で、感想とともにベスト3の順位をつけて投票します。そして、その順位に応じて点数が与えられ、最も得点が高かった作品が受賞となります。投票資格は新刊を扱っている書店の店員であれば誰でもあります。

 また、期間内に刊行された海外の翻訳作品を対象とした「翻訳部門」や、過去にすでに出版されている本を対象として、時を経てもやはり面白い、読み継がれてほしい、そんな風に強く思われた本に贈られる「発掘部門」も設けられています。興味がある方は、ホームページから、そちらもぜひチェックしてみてください。

 書店員というのは、本を人々に直接届ける仕事。それを生業としている以上、本好きな方が多いでしょう。仕事にするくらいに本が好きな書店員の方々が実際に読んで、「面白い」「素晴らしい」と思って選ばれた作品。その評価はとても信頼できますよね。また、私たち一般の人間にとって身近な存在である彼らが選ぶからこその安心感というか、親しみやすさ。そういったものを感じて、自然と読んでみようという気になれます。

 毎年のように話題になる本屋大賞。売り場から出版業界を盛り上げようというこの試みは、大成功していると言えるのではないでしょうか。

本屋大賞受賞作13選!

 では早速、本屋大賞の歴代受賞作の中から私のおすすめを13冊、紹介したいと思います。紹介の順番は、受賞年の古い順でいきたいと思います。

博士の愛した数式:小川洋子(第1回・2004年)

 2004年、記念すべき第1回目の本屋大賞を受賞したのが、小川洋子さんの「博士の愛した数式」です。

 「僕の記憶は80分しかもたない」――記憶力を失った博士にとって、私は常に”新しい”家政婦。数学の大学教師だった博士にとって、数字は言葉だった。やがて、私と博士の穏やかな日々に、私の10歳の息子も加わり・・・奇跡の愛の物語。

 私の大好きな本のうちの一冊です。記憶障害を持つ博士と、彼の家に通う家政婦の私、そして私の10歳の子ども・・・3人の穏やかな日々を綴った小説です。特に何か劇的なことが起こるわけでもないですが、何気ない日常の中に隠された美しいものを一つ一つ手に取るようにして紡がれる物語は、私たちの気持ちを穏やかに、そして温かくしてくれます。

 博士は元数学の大学教師なので、その会話の多くには数学が登場します。かといって難しく、堅苦しい物語なのかというと全くそういうわけではありません。数学は、当たり前のように彼らの日常に溶け込み、ときどき、身近にある数字から、はっとするような美しさを私たちに示してくれます。その数学と日常の調和がとても心地よいのです。

 でも記憶障害のある博士の中には、この美しい日々が積もることはありません。80分が経てば、その記憶はリセットされてしまうのです。どれだけの時間を過ごしても、私と博士はいつも初対面。その日々は穏やかではありますが、同時にとても哀しくもあります

 小川洋子さんの中でも一、二を争う有名作です。ぜひ一度読んでみてください。

夜のピクニック:恩田陸(第2回・2005年)

 次に紹介するのは、恩田陸さんの「夜のピクニック」です。

 高校生活の最後を飾るイベント「歩行祭」。それは、全校生徒が夜を徹して80km歩き通すという、北高の伝統行事だった。甲田貴子は密かな決意を胸に、このイベントに臨む。3年間誰にも言えなかった思いを清算するために・・・。永遠の青春小説。

 みんなで夜通しひたすら歩き続けるイベント、歩行祭。けれど、ただ歩くだけではありません。高校生がみんなで集まって何かをするとなれば、当然そこには青春というものが存在するのです。

 3年間抱えたある秘密に、この歩行祭で片をつけるのだと決心した貴子。彼女が抱えている事情は少し繊細なもので、特に高校生という多感な時期にある貴子は、かなり心中複雑だったかと思います。しかし、逃げずにきちんと片をつけると決めた貴子の勇気と誠実さがとても良く、見守る気持ちで読みました。

 この歩行祭が行われるのが夜というのも一つのポイントだと思います。修学旅行とか林間学校とか、夜までクラスメイトたちと一緒にいるような学校行事ってなんか特別な感じがしてわくわくしますよね?そのちょっとしたドキドキ感がいかにも青春という感じがして、自身の高校生活を思い出したりもして、懐かしい気持ちになりました。学校生活って、そのときはそんなに思わないんですけど、後から思い返せば、何気ないことがすごい青春だったな、って思います。

 描かれているのは歩行祭の一晩だけですが、この一晩に、一つの青春が詰まっています。自分の青春時代がふっと思い出されるような名作、ぜひ読んでみてください。

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン:リリー・フランキー(第3回・2006年)

 次に紹介するのが、リリー・フランキーさんの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」です。

 オカン。ボクの一番大切な人。ボクのために自分の人生を生きた人――。4歳のときにオトンと別居、筑豊の小さな炭鉱町で、ボクとオカンは一緒に暮らした。やがてボクは上京し、東京でボロボロの日々。一方、還暦を過ぎたオカンは、ひとり癌と闘っていた・・・著者の自伝的長編。

 リリー・フランキーさんが自身の母親との半生を綴った自伝的な小説です。とにかく泣けました。物語全体から、著者の母親への愛がひしひしと伝わってきて、胸がいっぱいになりました

 親のありがたみというのは、年を取れば取るほど気付くものですよね。若いうちはうっとうしい、早く家から出たい、と思うこともあるでしょうが、いざ大人になって親元を離れたりしてみると、親という存在がどれだけ自分の中で支えになっていたかが分かります。何もしなくても無条件に自分を肯定し、愛してくれる存在。そんな人が、親以外にいるでしょうか。

 でも親と子どもという関係である以上、いつかは必ず親を看取らなければならない日がやってきます。その喪失感は、今想像しただけでも耐えがたいほど大きいでしょう。でもその日が来るまでに、親に色んな形で、たくさん感謝を伝えておこう、貰った愛を少しでも多く返しておこう、そんな風に強く思える小説でした。

 親のことを思い出させてくれ、もっと親を大切にしよう、と思うきっかけをくれる小説です。

一瞬の風になれ:佐藤多佳子(第4回・2007年)

 次に紹介するのが、佐藤多佳子さんの「一瞬の風になれ」です。

 春野台高校陸上部。特に強豪でもないこの部に、二人のスプリンターが入ってきた。サッカーを諦めて陸上へ転向した新二と、その幼なじみで、天才的な走りをみせる連。彼らはただひたすらに走る。少しでも速くなるために――陸上への熱い思いを描いた青春小説。

 一部から三部まであり、文庫にして三冊の大作です。そういうと長いようですが、読み始めると、まさに全力で走り抜けるようにあっという間です。登場人物たちの熱い思いと、陸上というスポーツの魅力に呑込まれるように、夢中になって読みました。

 天才の連と、努力の新二。親友でもありライバルでもあるこの二人を中心とした陸上部のみんなは、高校という青春を陸上に注ぎ込んでいます。彼らを見ていると、夢中で打ち込める何かがある人というのは何とキラキラしているのだろうと思います。しかも、その思いを共有し、一緒に高め合える仲間がすぐ近くにいる。学生時代にそこまで何かに打ち込んでいなかった私には少々眩しすぎるくらいでした。

 そして、この本には陸上の魅力が溢れんばかりに詰まっています。個人的に、「一瞬の風になれ」というタイトルがとても好きです。走ることの気持ち良さ、すがすがしさを簡潔に、かつ的確に表したタイトルだなあ、と思います。余計なことは頭から追い出し、風と一体化するように、ただ前を見て走る・・・彼らが走っている描写は、まるで自分もそこにいて、彼らの起こす風を感じているような、彼らの息づかいを聞いているような、そんな気持ちになりました。

 目的もなくただ全力で走るなんてことは、陸上でもやっていなければ、大人になるともうほとんどありません。でも、この本を読むと、何だか河川敷とか、何もない広いところで全力で走りたいような衝動に駆られます。ぜひ。

ゴールデンスランバー:伊坂幸太郎(第5回・2008年)

 次に紹介するのは、伊坂幸太郎さんの「ゴールデンスランバー」です。

 衆人環視の中、首相が爆殺された。そしてなぜか犯人は俺だと報道されている。もちろん俺はやっていない。一体何が起こっているんだ?――首相暗殺の濡れ衣を着せられ、巨大な陰謀に包囲された青年・青柳雅春。彼は逃走を開始した。超弩級エンタテインメント巨編。

 伊坂幸太郎さんは私の好きな作家さんの一人なのですが、この作品はその伊坂さん作品の中でも上位に入るほど好きです。

 周到に準備された壮大な罠にはまり、いつの間にか首相暗殺の濡れ衣を着せられた男の逃走劇を描いた小説です。もう、とにかく面白くて一気読みでした。次の展開が気になって仕方がなく、夢中で読みました。

 平凡だった主人公の身に突然ふりかかった冗談みたいな出来事。しかし残念ながら冗談ではなく、彼は命を懸けた逃走を開始します。敵方が圧倒的な権力を持っているので、彼にできる唯一の反抗はただ逃げることだけ。しかし、圧倒的不利かつ理不尽な状況下でも一縷の望みにかけて逃走を続ける主人公の必死な姿を追っているうちに、いつの間にかこちらも主人公に味方して、彼が捕まらないように祈り、手に汗握りながら成り行きを見守っています。個人的にいいなあ、と思うのが、彼の逃走に、彼がこれまでの人生で関わってきた人々が陰ながらに手を貸していること。義理人情というのか、それを忘れない人々の行動には胸が熱くなりました。

 張り巡らされていた伏線の回収の見事さ、展開の先の読めなさ、そしてそもそもの設定の突飛さ、スリル、疾走感・・・どこを取っても最高のエンターテイメント作品です。伊坂幸太郎という作家に興味を持ったなら、まず最初に読んでほしい作品だと思っています。

告白:湊かなえ(第6回・2009年)

 次に紹介するのは、湊かなえさんの「告白」です。

 愛美は、このクラスの生徒に殺されたのです――が子を校内で亡くした女性教師が、終業式のホームルームで犯人である一人の少年を指し示す。そして、始まる衝撃の告白。一つの事件をモノローグ形式で関係者に語らせ、真相に迫る。湊かなえ、衝撃のデビュー作。

 今でもヒットを飛ばし続ける人気作家・湊かなえさんのデビュー作にして、ミステリー界に衝撃を与えた伝説の作品ですね。イヤミスという言葉が広まったのも、この作品の影響が大きいのではないでしょうか。

 私も初めて読んだときは衝撃でした。まず、地の文がないモノローグ形式で書かれているのが新鮮でした。モノローグ形式とか対話形式の小説って、自分がその独白や会話をまさに聞いているような気持ちになるからなのか、読んでいると、普通の文よりも、物語の中にぐいぐい引き込まれていくような感じがします。また、モノローグ形式だと、言っていることが本心なのか、真実なのか、言っている人物が心の中では実際に何を考えているのかが分かりにくく、それがまたミステリーとしてとても魅力的です。そんなモノローグ形式で書かれたミステリー作品は他にもありますが、個人的にはこの「告白」が最高傑作だと思っています。

 そして、この作品のもう一つの特徴として、イヤミスである、というのがあります。イヤミスというのは「嫌な気持ちになるミステリー」という意味ですが、この作品もその名の通り、という感じです。人の黒い部分を覗いてしまったようなそんな嫌な感じが終始つきまといます。嫌なのに、でも目を離せない、嫌なのに、なぜか癖になる・・・そんな人間の心理に訴えかけて上手く物語の中に引きずり込むのがイヤミスというものですが、この作品は数あるイヤミス作品の中でも群を抜いています

 デビュー作というのが信じられないほど完成度の高いミステリー。ぜひ、一度読んでみてください。

謎解きはディナーのあとで:東川篤哉(第8回・2011年)

 次に紹介するのは、東川篤哉さんの「謎解きはディナーのあとで」です。

 国立署の新米刑事である宝生麗子。うっとうしい上司の相手をしながら、事件の捜査に当たる日々。しかし、実は彼女の正体は、世界的に有名な「宝生グループ」の娘であり、超お嬢様。そんなある日、執事兼運転手である影山に事件の話をすると、何と彼は執事としてあるまじき暴言を吐きつつも、鮮やかに真相を言い当ててしてしまい・・・。

 ユーモア・ミステリーというジャンルの中で確固たる地位を持っている作家・東川篤哉さんの出世作ともいえる作品です。ドラマ化などもされて話題になりましたよね。私自身も大好きな作家さんであり、大好きなシリーズです。

 何と言っても注目すべきは、その卓越したユーモアのセンスです。お転婆なお嬢様と冷静で毒舌な執事の掛け合いがとても面白く、ずっとくすくすと笑いながら読んでいました。起こる事件自体は殺人事件なのですが、登場人物たちの会話が漫才やコントのようなので、あまり深刻さを感じず、とてもライトに、すらすらと読めます。

 そして、この作品のすごいところは、ただ笑えるだけではなく、ミステリーとしての完成度も非常に高いことです。この作品は全部で6つの事件が収録されているのですが、その全てにおいて、完璧な推理と、納得のいく真相が用意されています。普通、ライトに読めるミステリーというのは、謎解きがあまりしっかりしていなくて、本格ミステリーファンからすれば満足できないこともあるものですが、この作品は、本格ミステリーファンでもしっかり満足できると思います。影山の推理は、実際に現場を見ていない(たまに現場に赴くこともあるが)にも関わらず、理路整然としていて、ほんのささいな手がかりから思いもかけなかった真実を導き出したりして、推理を語り終わったときには思わず拍手をしたくなるほど鮮やかです。

 誰でも手軽に読める面白本格ミステリー、ぜひ読んでみてください。そして、シリーズ化されているので、こちらが気に入ったら、続きもぜひ。

舟を編む:三浦しをん(第9回・2012年)

 次に紹介するのは、三浦しをんさんの「舟を編む」です。

 出版社の営業部員・馬締光矢は、言葉への鋭いセンスを買われ、辞書編集部に引き抜かれた新しい辞書『大渡海』の完成に向け、彼らの長い長い旅が始まる。不器用な人たちの熱い思いが胸を打つ、感動のお仕事小説。

 私は中学生かそれくらいの頃、「広辞苑」にはまっていた時期がありました。漢字や言葉に興味があり、読んでいる本に知らない単語が出てくると、すぐによいしょと広辞苑を取りだして、いちいちページをめくって意味を確かめていたものです。しかし、今では、言葉の意味を調べるときはインターネットで文字を打ち、検索するだけ。紙の辞書というのは、随分と遠い存在になったような気がします。しかし、この本を読むと、辞書のページをめくって言葉を探したり、適当にページを選んで知らない言葉を見つけようとしたあのときのわくわくが蘇ってくるような、そんな気持ちになりました

 これは、辞書作りに人生の中の長い時間を捧げた人々の物語です。辞書にしろ何にしろ、私たちはもう完成されたものを買って使うだけですが、確実に、それを一から作る人というのがこの世にいるわけです。その品には、その人々の人生の一部分と、熱意と、こだわりが込められているのです。辞書作りの場合、それらは専ら「言葉」というものに向けられます。まさに「編む」ようにして一つ一つ丁寧に言葉が拾われ、辞書が作られていく様を見ていると、何だか熱いものが胸に込み上げてくるようでした。辞書の名前である『大渡海』、そして本書のタイトルである「舟を編む」。どちらにも、言葉というもの、そして辞書というものに対する思いが詰まっています。

 読んだら、家にある辞書を開きたくなる、そんな小説です。この作品が本屋大賞を取った、ということが何だか嬉しいです。

羊と鋼の森:宮下奈都(第13回・2016年)

 次に紹介するのは、宮下奈都さんの「羊と鋼の森」です。

 高校生のとき、偶然ピアノ調律師の板鳥と出会って以来調律に魅せられた外村は、念願の調律師として働き始める。個性豊かな先輩たちや双子の姉妹に囲まれながら、ひたすら音と向き合い続ける一人の青年の成長を温かな筆致で描いた感動作。

 私は楽器とか音楽とかそういったことには疎い人間で、正直、ピアノの音のちょっとした違いなんてさっぱり分かりません。なので、ピアノ調律師の成長を描いたこの作品に入り込めるかどうか、読む前は少し心許なかったのですが、読んでみると、あっという間にその世界観に引き込まれました

 何よりも、私を圧倒したのはその文章の美しさです。文章で表現するのが難しいであろう音楽というものを、森という自然と絡めて、美しく静かな筆致で見事に表現しています。全く詳しくない、あることすらもほとんど知らなかったピアノの調律という世界に、私がこんなにもすーっと入り込めたのは、その文章表現の素晴らしさのおかげだと思います。読んでいると何だか落ち着くような、空気の綺麗なところで微睡んでいるような、そんな静かで温かみのある文章でした。

 そして、本書を読んで初めて知った、ピアノの調律というものの奥深さ。ほんの少しの調律の違いで演奏は変わってしまいます。調律師というのは、演奏者のように華々しい表舞台に立つ仕事ではありませんが、その技術によって、影で演奏を支えているのです。調律は、ピアノを弾く人やそのピアノの状態に合わせて、繊細に、丁寧に、一つ一つの音と向き合って行う必要があります。よりよい調律のためには、地道な努力と経験の積み重ねが必要です。そして、それは音楽への、そしてピアノへの愛がなければできないことです。主人公の外村が、真摯に、コツコツと、壁にぶつかりながらも着実に、調律の道を進んでいく姿には、人生を捧げるべきものを見つけた人の静かな覚悟と幸福がありました。

 音楽の中の、少し違う世界を見ることのできる、美しい一作です。ぜひ。

蜜蜂と遠雷:恩田陸(第14回・2017年)

 次に紹介するのは恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」です。

 3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。近年、新たな才能の出現により音楽界に事件を巻き起こしてきたこのコンクールに挑戦する数多の天才たち。自宅にピアノを持たない少年。かつての天才ピアノ少女。年齢制限ギリギリの音大出身サラリーマン。名門音楽院の期待の星で優勝候補の青年。厳しい戦いに勝ち抜き優勝を手にするのは誰なのか

 こちらも一つ前に紹介した作品と同様、音楽をテーマにした作品です。本屋大賞と直木賞をダブル受賞し、すごく話題になった作品です。

 こちらも文章表現力が素晴らしい作品でした。恩田陸さんというのは、あらゆるジャンルを書きこなすことのできる、文章表現力に秀でた作家さんですが、本書は、それが全力で発揮されていた作品だったと思います。まるで文章で音楽を奏でているような、そして、音だけではなく、その音楽の向こうに、ぶわあっと風景が広がっていくような、そんな文章に、その迫力にただただ圧倒されました。なんというか、「音楽を文章で表す」というよりは、これは、「文章でしか表せない音楽」だと思いました。

 そして、コンクール出場者たちの、音楽とピアノにかける熱い思い。年齢も境遇も違うけれど、確かに音楽の才能というものを天から授けられた彼らの戦いはとてつもなく高次元で、そんな天才たちの戦いを一番いい席で見ているような、そんな気持ちになりながら読みました。才能があるものはそれに苦しめられ、ときには他の出場者と、ときには自分と闘い、苦悩しながらも、しかし最後にあるのは、いい音楽を奏でたい、という一つの思い。いったい最後に音楽の神様が微笑むのは誰に向かってなのか・・・コンクールの行く末が気になって一気読みしてしまいました。

 この小説で、文章というものの無限の可能性を見たような気がします。ぜひ読んでみてください。

かがみの孤城:辻村深月(第15回・2018年)

 次に紹介するのは、辻村深月さんの「かがみの孤城」です。

 学校での居場所をなくし、部屋に閉じこもっていたこころの目の前で、ある日突然鏡が光り始めた。鏡をくぐり抜けた先にあったのは、城のような不思議な建物。そこに集められていたのは、こころと似たような境遇の7人の子どもたちだった・・・。生きづらさを感じている全ての人に贈る物語。

 辻村深月さんといえばかなりのヒットメーカーですが、これはそんな彼女の最高傑作だとまで言われる大人気作品です。本屋大賞でも2位に圧倒的な差を付けてぶっちぎりで1位に輝きました。

 鏡をくぐり抜けた先にあったのは城のような謎の建物・・・というちょっとわくわくするようなファンタジー要素も含みつつ、描かれているのは、この世界に生きづらさを抱えている子どもたちのリアルな心情です。子どもの世界は大人に比べてとても狭く、その上、大人の庇護下にあるという環境上、逃げ出して別のどこかへ行くことも出来ません。繊細な子どもたちが、そんな世界の中で居場所を見つけるのはとても大変なこと。私も学校という場所があまり好きではなかったタイプなので、こころや彼らの気持ちが分かりました。

 思春期の7人の微妙な心の揺れや葛藤がとても巧みに描かれていて、思わず感情移入してしまいました。苦しいのに、どうすることもできない・・・子どもゆえの無力さ、そして息苦しさがひしひしと伝わってきました。でも、お城で出会った仲間たちとの絆が少しずつ育っていくところは、心が温まりました。そして、最後の展開には驚きと感動が一気に押し寄せてきて、読後には何だかとても満ち足りた気持ちになりました。

 今現に息苦しさを感じている若者たちにはもちろん、老若男女、誰が読んでも素直に感動できる物語だと思います。文章もストーリーも読みやすいので、読書初心者にもおすすめです。ぜひ。

52ヘルツのクジラたち:町田そのこ(第18回・2021年)

 次に紹介するのは、町田そのこさんの「52ヘルツのクジラたち」です。

 52ヘルツのクジラとは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く世界で一頭だけのクジラで、この世で一番孤独だと言われている。自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され「ムシ」と呼ばれる少年。二人が出会ったことで生まれる魂の物語。

 すごく話題になった本です。話題になってるし、心温まる感動系かな?と思って軽い気持ちで読み始めたのですが、イメージしていたよりも遙かに暗くて重い話でした。貴瑚と少年、二人のそれぞれの境遇があまりにも凄絶で、関係ない私でさえ心が苦しくなるほどでしたが、その分ラストシーンの感動は言葉では言い表せないほどでした。

 みなさんは、クジラの鳴き声って聞いたことありますか?私は直ではもちろんありませんが、動画で聞いたことがあります。すごく神秘的で、ちょっと怖くて、そしてどこか哀しげな声でした。この作品の象徴的な存在として「52ヘルツのクジラ」というのが出てきます。周波数が違うため、誰にも届かない声で鳴き続ける一頭だけのクジラ。その海の底の孤独を想像したら、胸がきゅっとなるような哀しさに襲われます。

 この孤独なクジラの姿は、過去の貴瑚や今の少年に重なるところがあります。ひとりぼっちで、誰にも届かない叫び声を上げ続ける人々。この作品では、児童虐待や介護問題などが取り上げられています。貴瑚や少年の話はあくまでもフィクションですが、彼らと同じような境遇で苦しんでいる人々が、現実の社会にもたくさんいるのです。彼ら、52ヘルツのクジラたちの声はいつか誰かに届くのでしょうか。そして、彼らの声を聞いてあげられるような人間に、自分もなれるでしょうか。

 ずっと心が揺さぶられて、ラストシーンでは思わず涙が溢れてしまいました。読後もずっと余韻に浸っていたい感動作です。とにかく読んでみてほしいです。

同志少女よ、敵を撃て:逢坂冬馬(第19回・2022年)

 次に紹介するのは、逢坂冬馬さんの「同志少女よ、敵を撃て」です。

 独ソ戦が激化する1942年、少女セラフィマが暮らすモスクワ近郊の農村をドイツ軍が急襲、村人たちは惨殺された。しかし自身も射殺される直前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。セラフィマは、復讐のため、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意するが・・・。

 この作品の刊行された数ヶ月後にロシアによるウクライナ侵攻が起き、その世界情勢もあいまって、爆発的に話題になった作品です。これが著者のデビュー作だと聞いて驚きました。戦争をテーマにした作品なので内容は重いのですが、夢中になって読める作品です。

 主人公は少女・セラフィマ。兵士目線から戦争を描いた作品で女性が主人公というのは珍しく、それがこの作品の見所でもあります。農村に暮らす普通の少女から一流の狙撃手となったセラフィマ。訓練によって磨き上げられていく狙撃の勘と腕。そして実戦にも赴き、そこで何人もの敵を射止めます。訓練や戦での狙撃の描写は、まさに息すらしてはならないと思うような緊張感とスリルを感じました。そして、積み重なっていくおびただしい数の両軍の死体。戦争の悲惨さ、そして戦争というものがどれだけ普通の人間を麻痺させ、冷酷にさせるのか、それをまざまざと見せつけられて、恐ろしくなりました。

 そして、最後まで読んで分かる、「同志少女よ、敵を撃て」というタイトルの本当の意味。それが分かった瞬間、とんでもない衝撃に貫かれ、この小説の凄さを思い知りました。戦争というものを少し異なる視点から描いており、とてもレベルの高い作品です。しかも、内容は重いですが、文章自体はそれほど難しいものではないので、わりと読みやすいと思います。ぜひ読んでみてください。

まとめ

 いかがでしたか。

 毎年発表される度に話題になる本屋大賞。今回は、これまでの大賞受賞作の中から、おすすめを13冊、紹介しました。

 気になる人は、読んでみてください。

 今回は紹介できませんでしたが、大賞でなくても、ノミネート作品にも面白いものがたくさんあります。本屋大賞のサイトには、これまでのノミネート作品も全部順位付きで掲載されていますので、そこからもぜひ自分に合いそうな本を見つけてみてください。

 では、ここらで。
 良い読書ライフを!

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました